2010年8月に読んだ本

どうやら8月は7冊読めた。ただ、うち2冊は漫画なので、実質5冊です。
読後のメモが大変だけど、これをやるとやらないでは、読んだ後の記憶が全然違います。お試しあれ。
この月に読んだ本はどれも良かった。興味があればぜひ読んでみて下さい。


↓8月に読んだ本たち↓


久々の歴史小説
戦国時代オタクには堪らない!
久々に、信長の野望をやってみたくなる。。

作中にも出てくる早雲寺、箱根に行く際はぜひ寄って欲しい。箱根湯本駅から徒歩数分、北条氏の菩提寺で、北条早雲とか氏康とかのお墓が、ぽつんと残ってる。
秀吉が建設した一夜城の鐘もあって、感動モノです。

戦国物、また読み始めたいな。



藤田 晋
アメーバブックス
発売日:2005-06

今更読んでみた。
時代は違えど、常にベンチャーは苦労の連続なんだろうなぁ、と改めて痛感。

■(P.161)
 私は意図的に、身の丈以上の大きさのオフィスを借りて、中にいる人の気持ちを買えることを目論んでいました。
 広いオフィスに少人数でいると、事業を拡大して、人を増やさないともったいないと考えますが、適正規模の環境にいると意外と人はその規模に満足してしまうものなのです。
 少しギャンブル的な側面はありますが、急成長を目指すなら、遠慮がちに自分たちにふさわしい規模のオフィスから始めるのは、もしかしたら引越しが一回ムダになるだけかもしれません。


なるほど!そういうものかもしれない。これは新しい発見。


宮台真司東浩紀の対談本。どちらも好きなので、書店で見つけて即購入。

■血縁を超えるネットワーク(p.84)

(映画「サマーウォーズ」に触れた後・・・)
宮台
むかしから社会学者が指摘するように、ああした血縁的な大家族は日本に存在したことはない。「ひとつ屋根の下」に大勢いたとしても、実際には従業員だったり、丁稚奉公だったり、要するに血が必ずしも繋がっていないひとたちでした。
 ここに、社会的記憶についての、郊外化=核家族化を背景にした、虚構というかウソがあるわけですよ。柳田国男の言うように、日本では琉球を除けば血縁主義の文化が皆無であるぶん、一緒にいるだけで家族みたいになれるので、養子縁組の制度ができあがったわけです。もちろん、敗戦後の企業が終身雇用制で擬似共同体になったのも、同じ背景があります。
 僕は以前から「典型家族から変形家族へ」というスローガンを謳っています。「大きな社会」をつくり出すべく家族的な相互扶助を重視する場合、かつての大家族と同等の役割を果たせば、見かけがどうあってもOKだと「機能的に」考えるのか、特定の家族イメージに「実存的に」こだわるのかで、話がちがってきます。
 柳田的な教養を踏まえると、店の一同が家族になったり、企業が家族になったりするほどで、特定の家族イメージなどにさして意味がない日本の伝統においては、「典型家族」ならざる「変形家族」を機能的に構成することこそが適しています。あとは、マスターベーション的に特定のイメージにこだわる安倍晋三的な「ウヨ豚」を取り除けばいいだけ。
 無教養な「ウヨ豚」を廃して「真正保守」の伝統に棹すなら、親しい者たちの家族が近隣に住み合うようにして相互扶助すればいいのです。たとえば、子育てのときに相互扶助ネットワークとして近隣の親族を頼れるかどうかが、従来の核家族にとっては重要でした。


琉球以外血縁にこだわらない、というのは意外。でも確かに。特に武家だと養子よくやってたもんな。自分の母方の祖父も養子に出されてる。



■学区的共同体の再構築(p.168)



(前略)明治以降、地名や町名にはほとんどなんの意味もなくて、学区だけがかろうじてコミュニティとして機能してきた。(中略)実際に日本の建築史を見ると、コミュニティをつくるときはまず学校をつくるのだと。ヨーロッパならば協会をつくるときに、日本では学校をつくる。前近代において共同体の中核だった寺社の機能が失われたあと、日本では学校は、教育機関であることに加え、共同体の核としての機能も果たして来たわけです。
 しかし、先ほど宮台さんがおっしゃっていたように、現代の日本では学校はまったくその役割を果たさなくなってきている。だからそれは教育の崩壊に止まらない、もっと大きな影響を社会全体に与えている。

→日本の台湾統治でも、学校の建設が先だったと聞いた。



■グループワークの効用について(p,172)

宮台
(前略)グループワーク能力がさまざまなモチベーションのベースになっていることが実証されたこと、グループワーク能力の上昇には大人たちとの相互包摂的な関わりが役立つことが実証されたことは収穫でした。いずれにしても、地域再生のためのひとつの方法はそれです。


「バーの椅子を次の客に譲ろうか・・・」
「今日は死ぬのにもってこいの日」



美麗なカバーに惹かれて購入。いちご100%の人だと後で気付いた。最近ジャケ買いばっかりだな。

たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」の三作品が収録されている。明治文学、115年前の作品だけあって、かなり難しい。
例えば、「たけくらべ」の冒頭は、

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取るごとく、明けくれなしの車の行来に、はかり知られぬ全盛をうらないて、
「大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町」
と住みたる人の申しき。

と始まり、これだけで既に解説が6個も付いている。最初の「たけくらべ」が一番難しくて挫折しかけたけど、「にごりえ」「十三夜」は会話が多いので比較的読みやすく、スムーズにいけた。


にごりえ」、「たけくらべ」ともに、娼婦が主人公の話だとは知らなかった。国語の教科書で、作品名しか教えてくれなかっに違和感があったのだけど、ようやく理由を理解した。

巻末の解説に、一葉自身の半井桃水との恋愛模様が書かれていて、勉強になった。

樋口一葉、享年24歳だとか。自分も頑張らなきゃ。


電子書籍版を購入。


これから生まれる格差は、階級や学歴は関係ない、創造性の差から生まれる格差になるだろう。

やはりビジネスの世界でも、自分の能力には、一見して釣り合わないようなリスクの高い仕事に挑戦しよう、という気概が重要だと思うのである。

ネオテニー
子供の期間、つまり成長可能な期間を長くすることが、人類の進化と発展につながった
ここで、現代の社会活動に即した考え方をすれば、成長可能な期間とは、学習可能な期間と考えることができると思う。過去のネオテニーの研究者は、これを教育可能な期間と表現している。


■夢中になることが最高の才能
 では、望まれる大人げなさとはどういうものだろうか。まず挙げられるのは、物事に夢中になる、ということだ。
(中略)
 そしていったん見つけたら、それがどんなに小さなことやくだらないことであっても、大事にするべきである。