伊達政宗、最期の日々

伊達政宗本は何冊も読んできたが、臨終間際のことはあまり知らなかった。「江戸の藩邸にて、胃がんで亡くなった。将軍家光も見舞いに来た。」というくらい。

伊達政宗に仕えた小姓・木村宇右衛門可親が、政宗の言行を記録した『木村宇右衛門覚書』(仙台市博物館所蔵)。がん性腹膜炎で腹回りが石のように硬くなり、また膨れ上がっている様子など、小姓ならではの記述が大変貴重。

『木村宇右衛門覚書』には、政宗の十七回忌のことが記されており、それが執り行なわれた慶安五年(1652)頃の成立と推定されています。

という文書とのこと。

文語が一見難読ではあるが、解説もあるので意味はつかめる。日葡辞書を使い、当時の言葉の使い回しを推察しているところも、勉強になる。ポルトガル人が作った辞書のおかげで、当時の日本語の意味が分かるというのは面白い。

ちょうど仙台の祖母ががんで亡くなり、その直前の様子も聞いていたことから、胸が熱くなる思いで一気に読んだ。


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母方の祖母が亡くなり、残る祖父母は父方の祖母だけになってしまった。母方の祖母は、祖父母の中でも一緒に過ごした時間が長く、これ以上なく可愛がってもらえたので、今思い出すだけでも涙が出てくる。
以前にも書いたが、祖父母は自分の事を手放しで可愛がってくれる(≒甘やかしてくれる)、唯一の存在だと思う。その一番の象徴だった母方の祖母がいなくなり、自分の中で一つの時代が終わったような感覚がある。
まさに、ブログのタイトルの由来でもある「馬上少年過ぐ」。もう自分は大人になったんだ、と強く意識し始めた。早く行動と結果に表わさないといけない。