三陸海岸大津波

座右の銘愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)に倣い、歴史を知っておくために購入。大変勉強になった。短い時間で読めるし、これはオススメです。Amazonでは売り切れですが、書店に行けば地震放射能の特設コーナーに置いてあります。


三陸海岸における、三度の大津波の記録。1970年刊行、1984年文庫化、2004年再文庫化。

明治29年(1896年)6月15日
昭和8年(1933年)3月3日
昭和35年(1960年)5月21日:チリ地震津波


■死者数
明治29年の大津波:26,360名
昭和8年の大津波:2,995名
昭和35年チリ地震津波:105名

→今回の東日本大震災での死者・行方不明者数が27,000人くらいとのことだが、当時とは人口が違う。各年の日本の人口を調べてみた。
明治29年:4,000万人
昭和8年:7,000万人
昭和35年:9,000万人

日本の人口が現在の3分の1の時に、今回と同じ規模の死者数だったということは、想像以上に激烈な被害だったんだな。


三陸沿岸を襲った主な津波の記録
896年、1585年、1611年、1616年、1651年、1676年、1677年、1687年、1689年、1696年、享保年間(1716〜1736年)、1751年、天明年間(1781〜1789年)、1835年、1856年、1867年、1894年

→規模の大小はあれど、多い!


昭和8年地震・大津波の際の救援活動が迅速だった。
昭和8年3月3日の夜明け前に地震が発生。
2:32 地震発生
2:40 盛岡市の警務課長中野警視らが登庁
3:22 全警察署からの報告がまとまる
3:30 警察部長森部書記官が登庁、津波襲来の情報。その後警察部、警察教習所職員全員に非常召集命令。
4:00 石黒英彦岩手県知事が登庁。
4:30 県庁内の内務、学務各部の全職員の即時登庁命令。
6:00 岩泉警察署から緊急要請。
7:35 罹災地に警察官の出動完了。
11:00 霞ヶ浦海軍航空隊が岩手に到達、被災地上空を偵察。

翌4日
6:30 海軍の駆逐艦が、青森県大湊から被災地各所に入校。
11:00 横須賀鎮守府から、衣服、食料等を満載した駆逐艦が到着。

インターネットどころか自由に電話もできない1933年に、こんな迅速な対応ができていたとは、素直に驚いた。


昭和35年の大津波は、チリの大地震によるもの。
チリから1万8,000km離れた三陸沿岸に、22時間30分で到達。ハワイでも60人の死者を出していた。
東北地方での地震ではなかったので、津波の警戒が無かったこと、またチリやハワイで事前に被害があったにも関わらず、気象庁が警告を出していなかったため、避難が遅れて大惨事になった。