2011年、買ってよかった本

総合編に続き、2011年に読んだオススメ本です。


起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと
起業のファイナンス ベンチャーにとって一番大切なこと


おすすめ。特に「大企業は内部留保を雇用に回せ!」とのたまう方々に読んで頂きたい。

BSとPLのブロックを上下に重ねて図示しているのは、理解がしやすかった。


コモンズ投信の「コモンズ30」の設定以来、毎月コツコツ積み立てで買付けしているので読んでみた。

つみたて投資をしている場合、運用期間中に一旦上げて下げた場合以外、驚くほど運用成績が良くなる。
「投資を始めるタイミングを選ばない」
「下がっても大丈夫。ストレスから解放されて、安心して投資できる」
ということを、データを用いて解説している本。

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日本経済新聞が毎年年初に「今年の日経平均の年間最高値と最安値はいつ頃か」という質問を有力経営者20人に聞いている。
1985年から2007年の22年間で、回答者の過半数が「年前半に最高値」と答えた年は一度もなかった。
全ての年で、過半数は「年後半に最高値」と回答。しかし、実際に「年後半に最高値」をつけたのはたったの9回。

→このバイアス分かる。そんな気がしてしまうけど、確かに根拠はないな。

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▼カリフォルニア大学バークレー校のピーター・ライマンとハル・ヴァリアンが2000年に発表した調査によると、人類が、洞窟壁画から印刷物まで、30万年かけて蓄積してきた情報量は12EB(エクサバイト。エクサはギガの10億倍)と推計されました。そして2002年にインターネットやテレビなどの電子チャネルを通じて流れた情報量は18EBだったとレポートしています。過去30万年分を、たったの1年間で追い抜いてしまったのです。
 また、IT調査会社のIDC Japanが2007年に報告したレポートでは、2006年に生まれたデジタル情報は161EB、2010年には988EBになると予測されています。

→情報量の計測方法はよく分からないけど、2002年ですら30万年分一気に越えちゃうのか。「現代の情報量は江戸時代の1万倍」と聞いたことがあるけど、もっとケタ違い。ソーシャルフィルタリングしていかないとなぁ。


三陸海岸における、三度の大津波の記録。1970年刊行、1984年文庫化、2004年再文庫化。

明治29年(1896年)6月15日
昭和8年(1933年)3月3日
昭和35年(1960年)5月21日:チリ地震津波


■死者数
明治29年の大津波:26,360名
昭和8年の大津波:2,995名
昭和35年チリ地震津波:105名

→今回の東日本大震災での死者・行方不明者数が27,000人くらいとのことだが、当時とは人口が違う。各年の日本の人口を調べてみた。
明治29年:4,000万人
昭和8年:7,000万人
昭和35年:9,000万人

日本の人口が現在の3分の1の時に、今回と同じ規模の死者数だったということは、想像以上に激烈な被害だったんだな。


三陸沿岸を襲った主な津波の記録
896年、1585年、1611年、1616年、1651年、1676年、1677年、1687年、1689年、1696年、享保年間(1716〜1736年)、1751年、天明年間(1781〜1789年)、1835年、1856年、1867年、1894年

→規模の大小はあれど、多い!


昭和8年地震・大津波の際の救援活動が迅速だった。
昭和8年3月3日の夜明け前に地震が発生。
2:32 地震発生
2:40 盛岡市の警務課長中野警視らが登庁
3:22 全警察署からの報告がまとまる
3:30 警察部長森部書記官が登庁、津波襲来の情報。その後警察部、警察教習所職員全員に非常召集命令。
4:00 石黒英彦岩手県知事が登庁。
4:30 県庁内の内務、学務各部の全職員の即時登庁命令。
6:00 岩泉警察署から緊急要請。
7:35 罹災地に警察官の出動完了。
11:00 霞ヶ浦海軍航空隊が岩手に到達、被災地上空を偵察。

翌4日
6:30 海軍の駆逐艦が、青森県大湊から被災地各所に入校。
11:00 横須賀鎮守府から、衣服、食料等を満載した駆逐艦が到着。

インターネットどころか自由に電話もできない1933年に、こんな迅速な対応ができていたとは、素直に驚いた。


昭和35年の大津波は、チリの大地震によるもの。
チリから1万8,000km離れた三陸沿岸に、22時間30分で到達。ハワイでも60人の死者を出していた。
東北地方での地震ではなかったので、津波の警戒が無かったこと、またチリやハワイで事前に被害があったにも関わらず、気象庁が警告を出していなかったため、避難が遅れて大惨事になった。


こういう話だったんだ。勉強になった。まんがで読破シリーズ、いいな。他のも読むことにする。


エジソンが世界で最初の発電所をニューヨークに建設したのは1882年、日本初の電気の街灯が銀座にともったのも、同じく1882年。


電力というものは、発電量と消費量がぴったりと合っている必要がある。
Q. 発電量が消費量を上まわったとしても、無駄は発生するが、目をつむれば問題ない?
A. ダメ。無駄は許されない。電力が余ると、交流の周波数が狂ってしまうから。電力が余った状態では、そのおおもとである発電機の回転数を上昇させようとする作用がはたらき、結果として周波数が上がる。
周波数が本来の値からずれると、周波数にもとづいて決まるモーターの回転数が変動して、工場での工業製品の製造に影響が出る。許容範囲は0.2〜0.3ヘルツ程度まで。ずれが数%に達すると、発電機が故障する可能性が出てくる。